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建物の紹介

王育徳記念館
王育徳記念館について

台南で生まれた王育徳(1924-1985)は、兄の王育霖(1919-1947)と同じく台北高等学校の卒業生で、東京帝国大学に進学した優秀な学生でした。検察官だった兄の育霖は二二八事件で私服警官に連れ去られ行方不明になりました。文芸活動において政府批判を行っていた育徳は1949年に日本へ亡命しました。

亡命後、王育徳は東大に復学し、台湾語の研究で博士の学位を取得した史上初の学者となりました。彼は台湾語の研究に身を投じ、多数の台湾史、台湾語、台湾文学などの関係著作を次々に出版しました。1960年の初めに「台湾青年社」を創設し、機関誌『台湾青年』を発行しました。その後は台湾独立運動に身を捧げました。また、人道主義のために「台湾人日本兵」の補償請求運動に全力で奔走しました。

1985年に心筋梗塞のため東京で亡くなった王育徳の台湾文化および民主発展への貢献と成果を記念して、台南市政府は2018年9月9日に、王育徳にゆかりの深い「呉園芸文中心の池の畔」に「王育徳記念館」を設立しました。

館蔵書籍

王育徳の著作には台湾語研究、台湾史、台湾文学および多くの文化、政治評論があります。1957年に出版された『台湾語常用語彙』は台湾人のために作られた初めての台湾語辞典です。出版費用を捻出するため家を売り、その後は家賃の安い豊島区千川に居を移しました。そして、1964年に出版された『台湾・苦悶するその歴史』は当時の多くの台湾人留学生にとって台湾意識の啓蒙書となりました。

文化出版

台南市政府文化局が出版した『漂泊的民族-王育德選集』には主に王育徳の小説、短歌、新詩、散文および文学評論が収録されています。編集者の呂美親は一橋大学言語社会研究科の博士です。日本留学中に王育徳の次女の近藤明理氏を訪ね、未発表の関係文学の手稿を入手することができました。この選集には王育徳の未発表小説、書簡等の作品が収録されています。精選された文章作品を通じて、文芸青年王育徳を改めて知っていただくことができます。

劇作<新生之朝>のメンバー写真

劇作<新生之朝>のメンバー写真。当時21歳の王育徳は原作、脚本、監督を担当したほか、中央の「陳老爺」を演じました。

1944年王育徳

1944年に台湾に戻り、1944年から1945年まで嘉義市役所(市政府)に勤務。父親が買ってくれた国民服を着用。

街頭署名活動

台湾人元日本兵士の補償問題を考える会」は1975年3月2日に新宿の伊勢丹百貨店前にて街頭署名活動を行いました。

最終取引時間:2020-12-08 午後 04:56:32
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