「蕭壠」は台湾原住民の平埔族の一支族であり、その中の集落が「蕭壠社」と社名。1906年に明治製糖株式会社が台湾で初設立の製糖工場の名前は「蕭壠製糖工場」で、のちの佳里製糖工場でもあります。
蕭壠文化園区の前身は台湾台南佳里の製糖工場の倉庫群れで、合計14棟が有ります。それらの通称は蕭壠十四倉として呼ばれ、敷地は約13.8ヘクタール。台湾の日本統治時代で鉄道が建てられ、14棟の倉庫が繋ぎ、蕭壠で特色のある南、北との道路となり、その上、使われていない佳里砂糖工場に独特な文化風趣と緑あふれる建物の美しさを活かし、新たな使命と姿を与えたのであります。
2003年に蕭壠文化文化園区の準備委員会が設立され、廃棄工場となった建物を整備し、建物そのものの姿と木植えを保存し、改築とリフォームを行い、古い廃棄工場をそれぞれに合わした設計と応用に変身させ、2005年1月に正式オープン。過去の砂糖工場を斬新な姿で人々の生活に戻られてきました。